〇「年を重ねて大法に」で切るのではなく、「大法に乗託せる身」、大法、即ち宇宙の真理、自然の法則の御催しによりて存在せしめられてあるということに、与えられてある日々の生活のなかで、如来さんが私自身の迷いや苦しみとなり給いて、気付かしめんとご苦労なさっておられると頂いています。すべてが如来さんの一人働きなんですね。
と、偉そうなことを申しておりますが、
煩悩をわがものとする卑下慢に
永くとどまりみ仏を見ず
同師のこのお言葉に、「私が、私が」と、どこまでも自分に固執する根性の根深さにドキッとさせられます。
〇歳を取れば煩悩(欲望)も、それなりに治まり、寂やかな、落ち付いた心持ちで生きていけると、勝手に思い込んでおりましたが、どうして! 尚一層、煩悩は盛んになるばかりで、寂やかな境地どころか、不安に強迫されっぱなし、自分で自分を持て余してしまう日々を、辛うじて送っています。それも賜りたる私、相変わらず身の事実に反逆し続けている根性も含めた私を、与えられたままに歩んでまいりたいと思っています。「・・・たいと思っています」というのは余計なんですけどね。
〇いよいよ厳しい冬が近づいてきました。高山地区では、最低気温がマイナスになるのが当り前、何とか無事に冬越ししてちょうだいと願いを込めて、庭に植えている檸檬とローズマリーに寒冷紗と藁でマルチングしました。
●お問合わせを設置させていただいています。
最近、私は何を求めているんだろうかと思うことがあるんです。経済も大事かもしれませんが、「お互いに通じ合えたなぁ」、「繋がっているんだなぁ」という実感を何より求めていたんだと。何かと立派な理由を付けたがってしまうんですが、要するにおしゃべりをしたいんですね。
辻褄の 合わぬ話しを 聴いて炉辺
G先生が、「昔は、夕方になると、村の人たちが農作業を終えた後にお寺に集まって、冷えた身体を本堂にある囲炉裏で温めながら、どうでもいい世間話しをしてから、それぞれ家に帰って行かれた。それがいいんだなぁ」と満面の笑みでご説明下さり、頂戴したお言葉なんですが、お問合せがそのような場所となればと、心より願っています。お便りをお待ちしております。
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西方寺の本尊(阿弥陀如来像)
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生れ変った西方寺全景

新しい垣根

庭に咲くドウダンツツジの花
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