真宗大谷派 西方寺 本文へジャンプ
西方寺のプロフィール

親鸞聖人は比叡山にて20年の月日を修行されましたがお悟りになることができぬまま下山なさり、『愚痴の法然房』、自らを深く見つめしめられ、専ら念仏申していくという道に身を投げ入れておられる法然上人に出会われて、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」(歎異抄第2條)と宣言されて念仏往生の道を歩まれました。
その親鸞聖人の真摯な求道のお姿に深く感銘を受けられた山太夫正澄という方が、今から600年以上前の応永20年(1413)に、自らの居宅を俗道場(聞法道場)として解放されて、縁ある方々と共に信仰を深められました。これが西方寺のはじめであると伝えられています。
玄孫(やしゃご)の正頼は得度をされて知眼と名のられ、永禄7年に俗道場を改めて「西蓮寺」を建立され、元文2年(1737)に難波別院直末寺院なり、宝暦4年(1752)11月6日に、現在の「西方寺」に改称されました。




西 暦 和 暦 寺伝及び由緒
1413  応永20 山太夫正澄が真宗に帰依して俗道場をおこす
1564  永禄7 知眼法師が西蓮寺を建立する
1692  元禄5 西蓮寺を再建、開基(初代)は恵階
1724  享保8 顕如在判本尊、西方寺の開基仏となる
1735  享保20 開基恵階が還浄する
1735  享保20 淨慶が二代目住職となる
1737  元文2 本山直末を願い出て、難波別院直末寺となる
1740  元文5 二代目淨慶が還浄する
1740  元文5 順應が三代目住職となる
1743  寛保3 三代目順應が還浄する
1743  寛保3 了元が四代目住職となる
1755  宝暦4 西方寺に寺号を改称、宣如在判木造仏の安置を許可される
1756  宝暦5 宗判権(寺請制度)を許可される
1776  安永5 親鸞聖人御真影の安置を許可される
1776  安永5 聖徳太子御真影の安置を許可される
1776  安永5 信證院御真影の安置を許可される
1777  安永6 四代目了元が還浄する
1777  安永6 圓立が五代目住職となる
1788  天明8 五代目圓立が還浄する
1788  天明8 恵教が六代目住職となる
1810  文化7 享和2年から御堂再建を志し完成する
1815  文化12 六代目恵教が還浄する
1815  文化12 恵靜が七代目住職となる
1856  安政3 七代目恵靜が還浄する
1856  安政3 恵廣が八代目住職となる
1915  大正4 八代目恵廣が還浄する
1915  大正4 慈教が九代目住職となる
1962  昭和37 九代目慈教が還浄する
1962  昭和37 慈照が十代目住職となる
2011  平成23 了徹が十一代目住職となる
2012  平成24 十代目慈照が還浄する


 法人概要


法 人 名 宗教法人 西方寺 
 所 在 地 〒563-0216 大阪府豊能郡豊能町高山510-1番地 
電   話 072-739-1666 
 Eメール toyono.saihouji@gmail.com 
 法人成立 昭和27年9月4日 包括宗教法人は真宗大谷派 
代表役員 日下部真雄 
包括団体 真宗大谷派 本山は真宗本廟 (東本願寺) 
 連 絡 所  自在庵 西方寺東住吉寺務所 06-4980-1925 


 当代住職 略歴

1959年兵庫県西宮市で公務員の父と画家の母の間に生まれる。
真宗大谷派の末寺の住職であられた清水洪先生のお導きで僧侶になることを決心し、京都・大谷専修学院へ入学。
卒業後、大阪、大分、鹿児島の別院や末寺に奉職し、たくさんの念仏者に出会わせていただいた末に、大阪に戻り、2012年3月に西方寺の11代目の住職に就任。

                



法人所在地
大阪府豊能郡豊能町高山510-1番地 TEL 072-739-1666
自在庵 西方寺東住吉連絡所 TEL 06-4980-1925

Eメール toyono.saihouji@gmail.com